コーチングブログ
全体論:意識と無意識、理性と感情が葛藤するというのは「嘘」
コーチングやコミュニケーション、アドラー心理学の宮越流解説。今日は、『全体論』について解説します。
人は『分割できない全体』として目的に向かって生きている
あなたも体験したことがあるように、私たちの中には「様々な自分」がいます。例えば「◯◯をやりたい」と思っている自分もいれば、「それは私にはできない」と思っている自分もいるわけです。
コーチングやカウンセリングの流派によっては、「私にはできない」と言う自分は『心のブレーキ』であり、成功するためにはブレーキを外す必要があるとしている場合もあります。
私たちのアプローチは違います。
アドラー派にはこんな表現があります
「あなたは自分の車のブレーキをわざわざ外して捨てますか? 捨てませんね。アクセルがあってブレーキがあるから、安全にゴールにたどり着けるのではありませんか?」と。
「◯◯をやりたい」と思っている自分は、これまでに◯◯の素晴らしさを体験した自分であったり、自分はできる人間だという体験をした自分なのです。「私にはできない」と言っている自分は、過去に失敗をしたなど何らかの体験をした自分なのです。
会社などの組織に置き換えて考えてみると、ビジョンを掲げてどんどん進みたがる人もいれば、過去の失敗を踏まえて慎重に進みたい人もいるイメージでしょうか?
だとしたら大切なのは、どちらが正しいかを言い争ってどちらかだけを選ぶことではなくて、どちらの意見ももっとよく聞いた上で、双方の観点を活かして第3の選択をすることではないでしょうか?
非建設的な行動にも建設的な目的がある
「非建設的な行動にも建設的な目的がある」というのがアドラーの考えです。
「一見ネガティブに見える自分の一部分に関しても、何か建設的な目的を持っているのではないか?」と考えてみるのです。
これは理にかなった考えだと思います。
私たち人間は、そもそも幸せに生きようとしている(快を追求し苦痛を回避しようとしている)はずです。
「いま、自分の一部が自分を苦しめているように感じたとしても、その一部分にも何か
肯定的な意図があるのではないか?」と考えてみると、何か見落としていたヒントに気づくかもしれません。
そのような態度を取ったときに、もう一人の自分が本当の声を教えてくれることがあります。
「もっとよく考えて、準備してから進もうよ」
「ホントにやりたいことと違うんじゃない? 思いつきで進んでも幸せになれないよ」
「自分ひとりで頑張りすぎると、また前と同じことになるよ。もっと人に頼ることを覚えなきゃ」
「このままだと健康を害するよ。身体のことも考えながら進んでいこう」
「家族の時間も考えて、しっかりバランスを取らないと大変なことになるよ」
など。これらのメッセージを受け取ったら
「そうか。そんな思いでいてくれたんだね。そして、それを踏まえた上で、未来に進む準備ができるまで、ブレーキを踏んでいてくれたんだね」と接してみるのです。
個人心理学(individual psychology)という意味
そもそもアドラーは、自分の仕事に「個人心理学(individual psychology)」と名付けたのです。ここで言うin-dividualとは『分割できない全体』という意味です。フロイトのように「人のなかには無意識という『部分』があってそれが邪魔をしている」というようには考えず「人は『分割できない全体』として目的に向かって生きている」というのがアドラーの考えなのです。このような考え方を「全体論」とよんでいます。
ただし、実践上は、以下のことも知っている必要があります。それは、「いつでも、もう一人の自分から肯定的な意図が見つかるとは限らない」ということです。以前身につけた古い考えが自分の中に残っているだけで、もうそれは未来に向けて役に立つものでなくっている場合もあるからです。
そのような場合には、過去にそのような考えを持つに至った経緯があったことを認めたうえで、どうしたら新しい考えを持てるようになるかを探していくことになります。
共同体レベルでの全体論
ここまでは全体論を『個人というレベル』で考えてみましたが、これを『共同体というレベル』に拡げてみることもできるのです。
家庭であれ、会社であれ、共同体にもいろいろな人がいます。ぶつかることもあるけれど、そこには共通する利害もあるはずです。ということは、何らかの点ではそれぞれが協力する余地はありそうです。
だとしたら、そこに意見の相違があったとしても、それは問題ではなく、リソースかもしれないのです。どちらが正しいかではなく、お互いがお互いの考えを深く理解し合えば、それぞれ単独ではたどり着けないよりよい考え方にたどり着けて、未来がひらけてくる可能性があるのではないでしょうか?